🔍 日本神話の機密をポロリ『古語拾遺こごしゅうい』の訳


今回は、『古事記』の最初の方に出てくる 『スサノオ奇行』の原形です。
『古事記』側で知られている神話は、ここから話を膨らませたことがうかがい知れるわけですが、 初期構想の時は、伊勢の地の『胸形君ムナカタノキミ』の解説はなかったようですね。 すぐ右下の  リンクから、『古事記』の該当記事 に飛べますので、両者を見比べてみると、どの部分をどう変化させたか? わかりますよ。   ・    ・ 
【原文と直訳】(素戔鳴神の奇行)

其後 素戔嗚スサノオ神 奉爲日神 行甚無状 種々凌侮 所謂いわゆる 毀畔 《古語 阿波那知あはなち》 埋溝 《古語 美曾宇美みそうみ》 放樋 《古語 斐波那知ひはなち》 重播 《古語 志伎麻伎しきまき》 刺串 《古語 久志佐志くしさし》 生剥 逆剥 屎戸

その後 素戔鳴スサノオ神 日神ヒノカミに奉仕せしも その所行 甚だ無状にて 種々の凌辱加へる 所謂いわゆる 毀畔あはなち埋溝みぞうみ 放樋ひはなち重播しきまき刺串くしさし 生剥いきはぎ逆剥さかはぎ屎戸くそへなど


《如此天罪者 素戔嗚スサノオ神 當日神耕種之節 竊往其田 刺串相爭 重播種子 毀畔 埋溝 放樋 當新嘗之日 以屎塗戸  當織室之時 逆剥生駒 以投室内 此天罪者 今中臣祓詞也 蠶織之源 起於神代也》

天罪者 素戔鳴スサノオ神  日神ヒノカミの田を密かに乱し 刺串で争ひ 種を重ね播き 畔を毀し 溝を埋め 樋を放ち 新嘗の戸に屎塗り 織室に生駒の逆剥ぎ投入 これらの天罪 中臣の祓詞に記す 蠶織の源は神代に起こる

テーブルデザインピンク2行 ほえ〜。何言ってるかサッパリです。 私の頭では、全然意味がわからないです……
このままでは、よくわかりませんよね? 以下は、【原文】の現代訳バージョンになります。
古語拾遺こごしゅうい』第1部 (素戔鳴神の奇行) 「従五位下」官位 斎部宿禰廣成いんべのすくね ひろなり (奈良・平安時代)

天罪者と呼ばれてしまう素戔嗚尊は、尊敬すべき姉の天照大御神アマテラスオオミカミに仕えておりましたが、残念ながら彼の行動は非常に無礼で乱暴であったと伝えられております。 彼の行為には、様々な侮辱や冒涜が含まれていたとされてます。 例を申し上げますと、 田んぼのあぜを壊す行為、これは〝泡放ちあわはなち〟と表現されます。 灌漑用の溝を埋めること、これは〝溝埋み〟と呼ばれております。 灌漑用の水路から水を放つ行為、これは〝干放ちひはなち〟 まかれた種を再びばらまくこと、これは〝敷き撒きしきまき〟 餅を刺す行為、これは〝串刺し〟 新鮮な稲を剥ぐこと、これは〝生剥いけはぎ〟 逆に剥ぐ行為、これは〝逆剥さかはぎ〟 また、新嘗祭にいなめさいの際には、戸にウンチョを塗るという行為もございました。 さらに、織物を織ってたときに、生きた馬を織物室に投げ入れるということも。 これらの行為は、天罪として、現在の中臣の祓詞にも語られています。 なお、蚕の飼育や織物の起源は、思いのほか古く、神代にまで遡るとされております。

📼 作者の斎部廣成いんべの ひろなり 一人語り風

素戔嗚スサノオ 様って方は、いささかやらかしすぎなとこがございましてな、姉上の天照大神アマテラスオオミカミ 様の配下ではありましたものの、これがまたえらくやんちゃと言いますか、自由奔放な方でありましてな。 ありとあらゆるイタズラ行為をしでかすわけなんですわ。 まあ一例をあげますと、田んぼのあぜを壊すってのはまだ序の口で、灌漑用の溝を埋めるなんてこともございましたな。 灌漑用の水路ってのは本来乾かすものですが、そこに水を放つ行為とか、やらかしたわけですな。 後は、まかれた種を掘り返すなどの行為もありましたな。 これらは皆、地域一体の生命線を破壊する行為だったわけで、イタズラにしては少々度が過ぎたわけでございます。 ほかにも事件はありまして、まだまだ、坊ちゃんのやんちゃは収まらなくてですな。 餅を刺したり、新鮮な稲を剥いだりときまして、新嘗祭にいなめさいのときにはスカトロ行為まであったと聞きますから、いやはや。   ・    ・  実は我が国の蚕の飼育や織物といいますのは、世の中で考えられてるよりずっと起源が古く、(中国から織姫を呼んだので)神代まで遡れるのですが、あるときは旦那、織物を織ってる部屋に、馬までぶん投げたそうで。 まあ、坊ちゃんのこれらの天罪ってのは、〝戒め〟のために中臣の唱える〝祓詞はらえことば〟にしっかり記録されて、 【大祓詞】

天の益人等が 過ち犯しけむあまのますひとらが あやまちおかしけむ 種種の 罪事はくさぐさの つみごとは 天津罪あまつつみ

看板のように、後々まで罪が語り継がれることになってしまったので、やりすぎも考えものでございますな。

🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説

これらの問題行動は、素戔嗚尊が出雲へ赴任していた時に行われている。 時系列として整理すると……
【推定される年代】(西暦100年代)
年代 推定年齢 出来事
 ►… 高千穂
160年頃 0代  ・ 神武天皇が高千穂の地に
 ・ その地で子どもが誕生。スサノオも。

↳ 月読命は存在感が薄すぎるので、姉弟の二人兄弟

 ►… 東征開始
170年頃 10代  ・ 筑紫の岡田宮
 ・ 阿岐国(広島県)の多祁理宮
180年頃 20代  ・ 吉備(岡山県)の高嶋宮(スサノオに子)

↳ 櫛明玉命クシアカルタマから瑞弥栄瓊之曲玉みずのやさかにのまがたま

 ►…〝ヤマト政権〟のスタート
190年頃 30代  ・ 父が奈良宮殿で天皇宣言
 ・ スサノオ出雲に赴任
 ・ 出雲がなかなか落ちず、姉が応援に来る   ↳ 今回の書はこの時期の出来事
 ・ 出雲の国譲り成功
200年頃 40代  ・ 火山噴火。スサノオの不徳が原因とされる
まず整理すると『古語拾遺』の中に書かれているイザナギ(天孫ニニギ・天忍穂耳命)とは『神武天皇』のこと。 神武天皇が、東征の後に奈良で天皇宣言をして、ヤマト政権がスタートした。 しかし、西日本一帯を統一したとはいえ、戦乱の世。 全ての地方豪族がおとなしく服従したわけではなく、虎視眈々とクーデターの機会を狙う、危険な勢力はあちらこちらにいる。 なので、政権安定のために有力地には直接役員を送り込んで、地方からも中央集権化を支えさせた。 そのなかの1つ、出雲の地には神武天皇の息子、スサノオが赴任したが、彼は泣いてばかりで何もしなかった。 それどころか、出雲の地で数々の奇行を起こし、皇族の名誉に泥を塗る行為。 このあたりのエピソードが『古事記』の物語にも拾われ、『古事記』の中では

 ・ スサノオは暴れん坊のジャイアンで困った者  ・ スサノオが泣いてばかりで野山が枯れた  ・ 天界で天照大神とバトル  ・ 因幡の白兎の、主人公に迷惑をかけるイタズラ兄側  ・ 天若日子アマノワカヒコが、雉名鳴女キジナナキメに矢を放つ

という形で、何度か形を変えながら、不名誉な書かれ方をされている。 そして、その後わりとすぐ、火山が噴火して太陽が噴煙に隠れてしまうという天災が起こった。 当時は、「素戔嗚尊の悪行に神の怒りで火山が噴火した」と解釈され、慌てて姉は伊勢に飛んでいって、神宮を建てて、断食を伴う祈りを捧げた。 これが『古事記』の物語の中では、スサノオの悪行で天照大神が怒って、岩戸の陰に隠れて世界が暗闇に包まれた(天岩戸隠れ) と書かれている。 このように、『神話』のなかのいくつかのエピソードは、実は事実を元に物語展開している。   ・    ・  ちなみに、よほどインパクトがあったのか、素戔嗚尊は『因幡の白兎』のウサッさんのことをいじめていた八十神の立場としても登場している。 『因幡の白兎』の主人公である大国主の、敵として描かれている兄者たちとは、実は素戔嗚尊&家来たちのこと。 天皇家にとっては大変都合の悪い、『因幡の白兎』の話が、なぜ『古事記』に採用されたか?
天皇家の血筋を引く者は、皆の模範でなければならない!
というルールを息子が破ったことに対する、皆への見せしめだった! NEXT『古語拾遺』第1部 先祖の古文書の筆写 その6








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